影響を受けるということ

影響を受けるということ

すし詰め電車の出勤に、残業で終電に滑りこむ帰宅。ラッシュアワー前の早朝出勤もありましたし、従うしかない命令や、勝手に膨れ上がるプレッシャー、感情をアルコールで沈める日々もありました。

もちろん、やり甲斐や面白さもたくさんありましたが、いま全く違う暮らしの中で一年前を振り返ると、感慨深いものがあります。

幸い、いわゆる生活のレベルというものは、下げることなく送れています。というか、収入は月を追うごとに上がっていますし、積み上げてきた複数の柱によるシナジーブレイクが目前にあることも感じています。

なんてことを書くと、興味を持ってくださる人は少なからずいると思いますし、逆に、笑う人もいるでしょう。私の話は置いておいて、この違いが、受ける影響の良し悪しを決める大きなポイントだと思うんです。影響に与え方があるように、受け方もあって、「受ける」とは言っても、受け身や無頓着では決して良い効果(影響)は得られないものと思っています。

検査器に例えるなら、「自働的」な捉え方は、受ける影響の針はプラスに振れ、「受動的」ならばマイナスに振れる。言い換えれば、「自覚」があればプラス、「無自覚」はマイナスにといった感じです。もっとも、ゼロもマイナスに含まれるとしての考え方です。

斜に構えての視界や、猜疑心フィルターのかかった思考は、不感症体質の根本的原因。琴線に触れる、感銘を受けるといった体験は、自ら意識を向けた人やモノからでなければ得られないはず。

簡単に言うと、いつも素直なアンテナバリ3状態でいることが大切、ということですね。

良い影響を受けて生きていきたいものです。
 
 
バリ3てもう死語でしたっけ(笑)