場の役割と表現の自由

場の役割と表現の自由

SNSは議論の場ではない。そう私は考えています。

近況報告、自己表現、情報収集、啓蒙、宣伝、集客など。たくさんの人が複数の目的を持って、SNSを利用しています。大小様々なコミュニティがあり、面識の有無も関係なく、年齢や社会的身分などを越えた交流が持てるのも魅力の一つだと思います。
私も同じように複数の目的を持って複数のSNSを利用し、多くの方の記事から学びや気付き、刺激や感動を頂いています。

そんな中、他の方の投稿記事に対してのコメント内容について、強い違和感を抱くこともあります。

タイムラインには不特定多数の記事投稿が表示され、気軽にいいね!やコメントを付けられます。勿論それ自体はfbのメリットの一つです。しかしながら、気軽に出来るとはいえ、記事は投稿者の【テリトリー】であり、閲覧者はあくまで【ビジター】である。他人の記事に対して、反対意見や自身の主張などを展開すべきではないと思います。「お邪魔します」の立場であって、投稿者の思想を否定して上目線で諭したり、自分の考えを押しつけるようなコメントは必要ないはずです。(どんな立場でも必要ないですけど)

投稿者がそれを求めている場合や、法やモラルの逸脱など例外でも無い限り、そのような行為、議論は然るべき場所でやるべきであって、意見するにしても、あくまでブレスト(ブレインストーミング)的に肯定し、結論付けないものが望ましいんじゃないかと思うのです。
 
 
例えるなら、粉や打ち方に拘りを持つ蕎麦屋に入店し、なぜ出汁にもっと拘らないのかと店主を問いただす。

演奏中のステージに勝手に上がり、正しい発声を教えてやるとマイクを奪う。

先のコメントは、このような行為と同義だと思います。招かれざる客は、つまみ出され出入り禁止となるか、何らかの制裁を受けるか。

仮に、主張が正しく優れていたとしても、居合わせる人はそれを求めてはいません。そこから生まれるモノは何もありませんし、賛同する人がいたとしても極めて小数でしょう。今どきスラングで言うなら、「微レ存かも」程度です(笑)
 
 
ピントや構図の甘い写真を公開しようとも、誰にも刺さらなさそうな要領の得ない長文を投稿しようとも個人の自由。もし不快なら意見などせずにそっとその場から退席し、もう訪れなければいいのです。今後もタイムラインで目にしたくないと言うのなら、ブロックでもしたらいいのです。よほど合理的で、お互いにストレスのない方法だと思います。

また、相手を想ってどうしても伝えたい、気づいてほしいことがあるのなら、メッセージを送ればいいの。プライバシーや機微情報答などの答えにくい質問もそう。相手にだけ届ければいいのであって、一切合切を大声でシェアする必要はないのです。
 
 
10数年前のネット普及期、「ネチケット」なる言葉が生まれ、現在も使われています。ネット上のマナーやエチケットを指す造語ですよね。

ネットとリアルを同じように捉える感覚も必要だと思います。さまざまな環境があって、遵守すべきことも違いますが、アクセシビリティが高まるほど、重要なことだと感じます。

結局すべて、人の行為なのですから。
 
 
最後に、バーボンはターキーに限ります( ̄▽ ̄)